こんにちはyuです。
1月はブログお休みしておりまして今年初めての投稿になります。今年もよろしくお願いします!
さて、1月26日、第158回社会保障審議会より平成30年度の介護報酬改定の全容が明らかにされました。
介護報酬は全体で0.54%のプラス改定となり、介護事業者としては喜ばしい結果だったのではないでしょうか(デイサービスは大変になりますが)。
しかし、「自立支援」「重度化防止」に力を入れたその内容を見ると、相変わらず国は医療と介護の違いが分かっていないのだなぁと。
もっとも、我々介護事業者さえもそこのところが分かっていない人が多く、ちょっとでも介護職の社会的地位を向上させようと医療の真似事に躍起になってますしね。
今後の日本の介護のあり方、老人の生活のあり方は中々良くはなっていかないだろうなと不安を覚えます。
今回は平成30年度の改定内容に触れながら、医療と介護の違いについて考えていきたいと思います。
[目次]
1 . 「おむつ外し」など生活機能向上を評価する
ダイヤモンドオンラインの記事を引用します。
最もわかりやすいのがリハビリだ。訪問リハビリと通所リハビリで、「医師の詳細な指示に基づく」マネジメント加算が大幅に増額された。従来の要介護者に加えて、要支援者にもマネジメント加算が新たに設けられ、訪問リハで月2300円、通所リハで月3300円となった。
また、「自立支援」「重度化防止」の代表として、「生活機能向上連携加算」が幅広く適用されることになった。医師とリハビリ専門職の活用である。自前の事業所に専門職がいなくてもいい。
外部の医療機関に所属する医師や理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)が通所介護事業所などを訪問して、助言(アセスメント・カンファレンス)を行い、個別機能訓練計画を作成すると、1人につき月2000円の報酬が得られる。従来は1000円だったから2倍になる。
これまでは訪問介護だけだったが、通所介護(デイサービス)をはじめショートステイ、地域密着型の特養や介護付き有料老人ホームなどに適用される。PTやOT、STが活動するには必ず医師の指示が必要。医療の考えがリハビリを通じて介護の現場に浸透していくことになる。
次いで、排便・排尿の際に介助を要する人への「おむつ外し」を支援する取り組みにも医療職が必要とされる。「排泄支援加算」として、月1000円の加算を新しく設けた。「自立支援」につながるからだという。
特別養護老人ホーム(特養)や老人保健施設(老健)などの施設でのことだ。居室内のベッド脇にポータブルトイレを置き、自分だけで排泄ができるようにすることなどが目指される。
その条件として「医師、又は医師と連携した看護師が判断」するとある。これまで、医師の同意を得ないで「おむつ外し」を実践してきた施設は新たな対応を迫られる。
まず言えるのが、老人ホームなどの入所系サービス、デイサービスや訪問などの在宅系サービス、いずれも「自立支援」「重度化防止」に重きをおき、これを行ったもの報酬を厚くすると言う方針です。
もう一つ言えるのが、医療の介入です。
私が過去に言及したおむつ外しのリスクについても、事業者が加算を得るために入居者に強要することを防ぐため、医師がおむつを外せると判断し、本人が望む場合に加算対象を限定するのだそうです。
医師というのは専門分野が多岐にわたり、それぞれが専門分野におけるエキスパートです。逆に言うと医師は万能ではないのです。
おむつを外せそうかどうかに医師の判断って…
お医者様の言うことは神様の言うこと。お医者さま信仰もここまでくると唖然とします。
2 . 医療と介護の決定的な違い
医療と介護の違いを考えてみます。
一言で言うなら、死や衰えと戦うことが医療であり、死や衰えと付き合っていくのが介護であると言うことです。
全くベクトルが違うのです。
生まれてから成長し、衰え、死ぬまでの様子を飛行機に例えてみます。
飛行機は成長とともに上昇し、衰えとともに下降していきます。
この下降しフラフラしている飛行機を必死に落とすまいと戦うのが医療です。
スパゲッティ症候群などにみられる延命治療、無理やりなリハビリ、無理やりな食事介助などの延命介護もこれにあたります。
しかしこれには身体的苦痛を伴う場合も多くあります。
一生懸命に戦ったが墜落してしまった。それが死であるという考えです。
高齢になっても生老病死という自然の摂理を無視して最後まで戦い、それを美学や成果だとする風潮が介護の世界にも根強く残っています。
介護では本来、死と戦う必要がありません。
加齢からくる衰えや死を自然のものとして受け止め、少しでも本人に苦痛なくソフトランディングできるように支援します。
死までの経過をどれだけソフトランディングさせられるか。
私自身は自然死・尊厳死に限らず、安楽死もこのソフトランディングに有効な選択肢だと考えています。
3 . 国は「衰えること」を許してくれない
「自立支援」「重度化防止」が声高に言われているのには理由があります。
健康寿命と寿命のギャップによって、自分で自分のことが出来なくなる期間があります。このギャップこそが恐怖の元であり、苦痛の元です。
健康寿命を延ばしこのギャップを少しでも縮めようという考えです。
実際には、介護や医療にかかる人が多ければ、それだけ社会保障にかかるお金が多くなって困る。だから皆さん死ぬ直前まで己を鍛えて健康でいて下さい。というのが本音です。
しかし、デイサービスなどはともかく特養なんかだと、今でも日常生活上のお世話で精一杯であり、実地指導などでよく指摘される「個別性のあるケアプラン」や「個別性のあるケース記録」なんかも形だけの状況です。
より複雑になった各種手続き。より慌ただしく仕事をし、疲弊する現場。残業、人員補充にかかるお金。それによってもたらされる利用者のメリット。これらを総合的に考えるととても費用対効果の薄い施策だと言えます。
怒られるかもしれませんが逆の発想で、いま行われている多くのムリな延命治療、延命介護を止めれば、寿命が短くなるのでこのギャップは幾分解消できます。
こちらの方が簡単かつ、お金もかからず、利用者にもメリットがあり、費用対効果は大きいです。本当は薄々気づいている人も多いのではないでしょうか?ただそんな事いうと過激派だと思われるから言えないだけで。
長生きが目的なのか、良き人生が目的なのか…いま一度正直に考えてみてはどうでしょうか。
4 . 長生きは目的ではない、結果である
私たち介護者は普段からお年寄りの健康管理をしています。
自立支援にも否定的な立場ではなく、なるべく自分で出来ることが多くなってほしいと支援しています。
なぜそれをするかと言うと、健康的な方が心身の苦痛が少なくなるし、自分で出来る方が自由に生活ができるからです。業界用語で言うQOL(クオリティオブライフ)の向上のためです。
そして、健康的な生活をすると結果的に長生きします。
現場でよく間違いとして起こるのが、長生きが目的になってしまうという事です。
先に述べた医療と介護のベクトルの違いを理解せず、医療に対する劣等感や自身のなさ、死への否定的な気持ちがこの間違いを引き起こします。
こうして利用者本人の苦痛を無視した延命治療、無理やりリハビリ、無理やり食事介助が起こってしまうのです。
QOLの向上(目的)→ 健康管理 → 長生き(結果)です。
長生き(目的)→ 健康管理 → 苦痛を伴う長生き(結果)とならないように注意が必要です。
5 . さいごに
私自身は、今後いわゆる「介護の機能」は「日常生活上の世話」により限定化してシンプルにしていくべきだと考えています(特に入所系サービスは)。
その上で、お年寄りの終末期がソフトランディング出来るような方向に力を注いでいくべきだと考えています。
今のような連携とは名ばかりの医療・リハビリをごちゃ混ぜにした迷走。医療・リハビリの延長線上に介護があるような考えでは財政面でも、人材確保の面でも、利用者のQOLの面でも無理があります。
※医療との連携必要ないという事ではありません。終末期における疼痛緩和や胃ろうの調整など、少しでも安楽逝けるための連携はより強くなっていった方が良いと思います。
「専門性を低くしたら介護士の社会的地位が上がらないのではないか」と業界の方からは思われるかもしれませんが、介護報酬において介護士の待遇を公務員並みかそれ以上にすれば、社会的地位はすぐに上がります。そうすれば今より人も集まりますし、適性や技能について厳格化しても良いのです。
今回はここまで。今年最初の投稿が、このような毒吐く内容ですみませんでした!