第二次世界大戦当時、アメリカで活躍した数学者エイブラハム・ウォールド*1の有名な逸話があります。
当時、彼は軍からの依頼である調査をしていました。
その頃は、爆撃機のパイロットが生き残れる確率は5割ほどと言われ大変リスクも高かった時代。
軍は、敵の砲撃から機体を守るためには装甲の強化が必要だと考えます。しかし装甲全てを強化してしまっては機体が重くなってしまうため、そう単純にもいきません。
ウォールドは、機体のどこを優先的に強化することが、機体の性能を失うことなく安全性を強化できるのかという調査を行なっていました。
軍は、命からがら帰還した膨大な量の機体たちを調べ、結果としてその損傷には特定のパターンがあることが分かります。
翼も胴体もハチの巣のように穴が空いている、しかしコックピットと尾翼には傷がない・・・
軍はこの結果を受けて、「穴が空いている所」→「弱い部位」だから、そこの装甲を強化しようとします。
しかし、これとは反対の解釈をしたのがウォールドです。
これらの機体は、コックピットと尾翼に砲撃を受けなかったから帰ってこれたのではないか、帰還できなかった機体はコックピットと尾翼のいずれかに砲撃を受けたのではないか、即ち、強化するべきは穴の空いた翼や胴体ではなく、コックピットと尾翼であると。
後に、この判断は正しかったことが分かります。
見えている情報だけでなく、見えない情報までをどう考えを巡らすか、そして、それらをどう解釈するか、それによって判断が180度変わってしまうこともあるというお話です。
[目次]
1 . 昼夜逆転の原因は
さて、それでは私の本業である介護に目を向けてみましょう。
とあるお婆さん、鈴木(仮名)さんの事例です。
鈴木さんは今、昼夜逆転傾向が強い状態です。
頻回に大声で職員を呼んだり、対応が遅れると暴れて車椅子から転落することもある方なので、夜間覚醒していると少ない職員では対応しきれない、本人他利用者とも事故リスクの高い状態です。また、日中傾眠してしまい食事量にムラがある、などの困りごとが発生していました。
昼夜逆転という事実に対して、職員Aさんはこう言います。
Aさん
「日中の活動量を増やしてもらってはどうでしょうか。日中寝ているから夜寝られないのでしょう。」
一方、職員Bさんはこう言いました。
Bさん
「鈴木さんは、性格的に依存・不安傾向が強いため、夜間フロアに人が少なくなると大声も頻回になります。日中は周りに人がいるから安心なようで余計に眠りやすいようです。夜寝られないから日中寝てしまうのではないでしょうか。」
いま目に見えている事実(結果)は『昼夜逆転』です。
しかし、その結果に至るまでの過程・原因についてはAさんとBさんでは全く違う解釈をしているのです。
さらによく見ると、職員Aさんは鈴木さんの課題を「日中寝てしまうほどの活動量の少なさ」と定義しているのに対し、職員Bさんは「夜間の不安な気持ち」と定義しています。つまり鈴木さん自身にとっての真の課題についても、定義が違っていることが分かります。
たった一つの事例に対しても、同じ景色を見ているはずの職員でもこれだけの解釈の違いが生じます。
解釈が違えば、それに対するアプローチも変わってきます。鈴木さんの課題にとってより効果的な方法、鈴木さんにとってより苦痛を伴わない方法は何なのか、その後の議論を大きく左右することは間違いありません。
2 . 介護職的、洞察力
先に挙げた例はあくまで例え話なので、どちらが正しいかは分かりません。
また第三第四の解釈もあり得ますし、原因は一つだけでなく複合的ということも多いでしょう。
ICF(国際生活機能分類)*2で言うところ、Aさんは『参加』、Bさんは『心身機能』と『個人因子』に着目している、と言えるのかもしれません。
いずれにせよ、特に施設系では、利用者の24時間の生活を見ているのは介護職です。
この介護職が、様々な結果の背景についてどう分析するか、介護職同士でも解釈が違うことがあるのでどれだけ話し合えるか、そしてそれを他職種や家族に気後れすることなくきちんと伝えられるか…
この力があるかないかによって、利用者の生活に大きな影響を与えてしまうことがあるのです。介護職にしかできない役割がそこにはあります。
その点については良い意味での緊張感と、自信と誇りを持って取り組みたいところです。
3 . アリバイ作りの事故検討に付き合うな
原因と結果というと、介護現場ではよく『事故』に対して使う言葉でしょうか。この事故に対しても、不合理な対策が検討されることが少なくありません。
例えば、鈴木さんのスネに擦過傷が見つかったとします。
これに対し、移乗介助の際、車椅子のフットサポートがぶつかってしまったのではないか→移乗介助時、車椅子のフットサポートを外すことを徹底する。という検討結果になったとします。
ここまではまだ良いです。
しかしごく稀にですが、懲罰的な意味で「何で傷になったかは分からないけど、とりあえず二人対応にしよう」という検討結果になることがあります。
そしてこれを言い出すのは、たいてい実際の介助にはあたっていない上司や他職種だったりします。
例えばこの事故の場合、必要なのは『普通の介助技術を徹底すること』『技術に不安がある職員がいるなら確認、指導を行うこと』です。
逆の言い方をすれば、その普通のことが出来ないようであれば他の方々に対する介助自体にも疑問が生まれ、これまで一人でやっていた全ての人に対し二人で行うことが妥当という話にもなってくる。
つまり、ここのでの二人対応という判断は、よく考えてみれば全く合理性のない判断なのですが、当の介護に当たる介護職員は立場が弱くこれをおかしいと指摘できない。
結果どうなるか。
介護士は隠れてこっそりと一人で介助を行うようになります。
もはや事故検討という本来は重要なはずの意思決定(利用者の安全面はもとより訴訟リスクにも関係してくる)に対する厳格さは失われ、形だけの話合っているふりになってしまうのです。
こうした事の積み重ねは、徐々に介護職の考える力も発言する気力をも失わせます。そして仕事に対する厳格さも失われ、いいかげんな施設になっていくのです。
4 . さいごに
繰り返しになりますが、利用者の生活を最も近くで長く見ているのは介護職です。
目の前の結果に対して、どのような生活、どのような背景(利用者の情緒的なことも含めて)があるのか、これを語れる洞察力、それが介護職に求められる他職種には真似できない強みでもあり、責任でもあります。
なぜこうなっているのか?疑問を持って考える癖をつけることが大切です。
そして、ぜひ自信を持って、勇気を出して、声をあげて、自分の考えを他者に伝えていって下さい。
オワリ