ツイッターより▼
悲報
— yu (@sow_the_seeds) 2019年9月26日
入居者が新しく買ったダイソーの腕時計
大理石風の柄の入った文字盤なんだけど、その日の晩から「誰だこんなヒビだらけにしたのは💢」と絶賛不穏モード pic.twitter.com/nfyRd9aDOp
先日このような事がありました。
悲しい笑い話なのですが、実はこれについては、腕時計購入に至るまでの経緯にちょっとした個人的思い入れがありまして。
「高齢者介護」「認知症ケア」特に施設生活におけるそれらを考えた時に、大事にしたい視点があるように思いますので、今回はそのお話しをさせていただけたらと…
[目次]
1 . 腕時計購入の経緯
この方(以下Aさま)は、入居当初から腕時計をされている方でした。
認知症はあるものの自立度は比較的高く、ご自身で腕時計を付ける、外す、時間を確認するなどの行為も可能です。
ある時、長年の使用によりその腕時計が故障してしまいまして、修理可能かどうか確認する為、職員の方でお預かりしておくことになりました。
故障の具合から修理は不可能だったため、新しいものを購入する事になりました。
2 . 購入にあたっての留意事項
そもそも新しい物を買うか、買わないか
壊れた時計をお預かりしている間、Aさまは時折職員に「俺の時計どうしたっけ?」と気にされる様子が見られていましたが、時間の経過とともにあまり気にされなくなっていきました。
例えばこの時点で、「本人はもう気にしてないようだから、わざわざお金をかけて新しい物を購入する必要はないのではないか」という判断も出来たかもしれませんし、職員間では口にはしないもののそのような雰囲気もあるように私は感じました。
ですがそれでは、これまで自身で出来ていた「時間を確認したい時に自分の腕時計でそれをする」という行為を奪ってしまうことになってしまいます、はたしてそれで良いのでしょうか?
良くない。
これには後述しますが強い拘りというか思いみたいなものが私にもありまして、そのような考えのもと、新しいものを購入する判断となりました。
購入方法
本人家族に了承を得た上で、私が施設の立替金でもって買いにいきました。
陳列しているもの中から、なるべく以前のものにデザインが近く、なおかつステキなものを選んで買ってきました。
本当は一緒に買いにいくのが一番自然なのですが、Aさんは迂闊に外出してしまうと、施設に戻ってきてからしばらく帰宅願望が強く出て落ち着かなくなってしまう(一人で施設を出ようとされる事も多い)傾向にあるため、あえて私が買ってくるという選択をしました。
しかし買い物を代行するという判断が裏目に出てしまい、冒頭紹介したように「ヒビが入っている!」という、予想していなかった反応が返ってきてしまったわけです。悲しい。
3 . 奪ってはいけない
さて、今回の事例を通じて私が一番言いたいこと。
それは『やらなきゃ良かった』でも『やり方が悪かった』でもなくて(やり方は悪かったかもしれないけど)、
「本人が気にしてないから、まぁいっか」で済ませてしまい、これまでの習慣や残存機能を奪ってしまうリスクが介護現場には沢山ありますよ、ってこと。
例えば、
- メガネが壊れてしまった、本人かけなくても変わらないようだからそのまま
- 補聴器の電池切れてるけど本人気にしてないからそのまま(あるいは電池切れに職員が気づかない)
- 歯茎が痩せて義歯が合わなくなってきた、食事形態下げたら食べられたから調整しない、使用しない
- 歩けるけど時間かかるから車椅子を使う
- 夜パジャマに着替えない、などなど
このような事例を全て絶対悪と断ずることも出来ないのですが、油断しているとこのようなところから実際の老いのスピード以上に、その方の人間らしさ、生活らしさみたいなものを奪ってしまうリスクがあるのではないかと思います。
緩やかなネグレクト(介護放棄)と言えるかもしれません。
※
知らない人からしてみれば、「この程度のことも管理できないの?」と思われそうな情けない話ですが、正直申し上げてこの程度のことをちゃんとやるだけでもすごく大変です。大人数の利用者に対して少数の職員、交代勤務、「食べる・出す・拭く」といった生きる上で最低限の支援をするだけでもかなり手一杯な状況があることも否めません。
4 . 煽るのも危険
ここまでと逆のことを言いますが、私は希望を煽るような介護もまた危険だと思っています。
年をとるほどに良い意味での諦めは肝心です。
老いてからの生活は、『様々な欲求や執着が強い人』ほど苦しむ傾向にあるように思います。
人は必ず老い、衰え、死にます。
社会保障の一環の中でこの仕事をしていて、とても「もっとあれも出来る!これも出来る!なんでも夢叶えます!」みたいに希望を煽るような真似、私には出来ない。
例えば、時折お年寄り同士の恋愛などを美化する話を聞く事があるのですが、互いに家庭もあり、心身の衰えによって互いの事に責任も持てない状況で、それを煽るようなことは私は反対。施設にいると、身体元気な認知症の男性が寝たきりの女性に夜這いしそうになったなんて事もありますから、本当笑い事じゃないんですよ。
他にも、外出支援をしたことによって、職員の顔を見るたびに「次はいつだ」とそればかりが気になるようになり、生活そのものに対しての不満を強くしてしまう方も、過去にはいらっしゃいました。
折角良い意味で諦め(悟り)はじめていたのに、それを煽ってぶり返すことは、時にすごく残酷なことにもなり得るのです。
私は、利用者には笑顔多く、心身穏やかに生活し、老い、最期を迎えて欲しいと願って仕事をしていますが、希望を煽るという行為は慎重になる必要があると思っています。利用者に対しても、家族に対しても、世間に対する広報的なものに関しても。
5 . さいごに
煽るのは危険。
しかし一方で、先に挙げた事例のように、職員の都合や気付かなさによって、必要以上にあるものを奪ってしまう行為、これにも非常に注意していく必要がある。
限りあるマンパワーの中で取捨選択しなければならない場面も多々ありますが、その中でも葛藤しながら追求するのは宿命なのだろうと思います。
煽らず、奪わず、中庸の介護
そんな具合を目指してやっていきたいと思った次第なのでした。
ちなみに、Aさんの時計のその後ですが、やはりどうしても柄が気になり気分を害されてしまう(説明するとその場では納得して頂けるのですが、少し時間が経つとまた同じようになる)ため、今度は一緒に買いものに行くこととなりました。七転び八起きですね。
オワリ。