先日、後輩と食事介助にまつわる話になりました。
その後輩曰く「自分が入職した頃(7〜8年前)は、食事介助は少しでも早く、無理矢理にでも全量食べさせなきゃいけないと言う風潮だった」と言います。
更にその数日後、新人職員さんと一緒に食事介助をしてた時の事。
なかなか口を開けてくれない入居者の介助方法について「どうすれば食べてもらえるかな?」とお互いに意見を交わしていた時に、彼女が学生時代に実習先で見た他施設の食事介助の実態を語ってくれました。
やはりそこでも無理矢理口をこじ開け、食事を詰め込む、反射で飲み込む…スピーディに全量摂取出来た職員が自慢げにしているという状況だったみたいです。
こうした施設(あるいは介護職員、看護職員)が未だにある現状。なぜそのような事になってしまうのか、その根底にあるのが実は『死生観の欠如』です。
今回は入居者も職員も苦しまなくていい、正しい食事介助について考えていきます。
[目次]
1 . 食べなかったら死ぬ? 死ぬから食べられなくなる
職員が必死になって食事介助をするのには理由があります。食べない状態が続けば、その入居者は死ぬからです。
職場によっては看護師や上司、入居者家族といった外からの圧力もあります。
「水分強化で、最低でも〜ccは摂ってもらって下さい。」
介護士
「つってもそんな飲んでくれないんだよなぁ。でもやらなきゃ後で怒られるし」
ムリやりムリやり…そんな感じです。
食事が全量食べられたという事は死期を遠ざけたとも考える事が出来るため、一見すると実力のある介護士さんに見えるかもしれません。
しかし勘違いして欲しくないのですが、生命は永遠ではありません。死期が近づいてくると徐々に食事を受け付けなくなってくるのです。それは自然の現象です。
食べられないのにムリやり口をこじ開けられ食事を詰め込まれる、それは苦痛でしかありません。
ムリやり全量食べさせて自慢げになっている職員は、自らの死生観の未熟さを露呈してしまっているという事です。
老人ホームの仕事の価値は『延命』ではありません。『死も含めて、その方の人生の終末が少しでも穏やかにいられるようプロデュースする事』そこに価値があるのです。
医師、長尾和宏氏の著書から参考になる所を要約して紹介します。経管栄養の方の終末期に関するエピソードです。

胃ろうという選択、しない選択 「平穏死」から考える胃ろうの功と罪
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- 多くの病院では1日1500キロカロリーと決めたら、死ぬまでその量を注入する。しかし人間は歳をとると「省エネモード」になるため、高齢では1200、終末期であれば600キロカロリー位でも生きられる。
- そのような状態に1500キロカロリーをムリやり注入すると、痰がらみ、心不全、肺水腫などの弊害(水ぶくれ)が起こり、かえってお年寄りが苦しむ事になる。過剰な水分と栄養が、まもなく旅立とうとするする患者さんをどれだけ苦しめているのか気づいていない医療関係者が多い。
- 私(長尾氏)は患者さんの余命があと数日と判断した時点から、徐々に注入量を減らしていく。これを「しぼる」と呼んでいる。こうする事で枯れるようにラクに最後を迎えてもらうことが出来る。
2 . 食事が食べられなくなってきたら、次のステージに移行する
ムリやりな食事介助は悪ですが、食事が摂れなくなる事で新たなリスクが発生する事も確かです。
体重の減少と栄養状態の悪化により褥瘡の発生、脱水による発熱や意識障害、抵抗力が弱った事による感染症の発症など、今までなかった次のリスクが発生する可能性がありますから、ケアする側としてはそれらに備えていく必要があります。
① 本人、家族の意向の確認
食事が食べられなくなってきた、体重が落ちてきた、そのような変化があった時にまずするべき事は、本人家族に状況を伝え今後の意向を確認する事です。
当然のことながら、食事が食べられなくなるという事は死期が近づいてきているという事です。胃ろうをするのか、しないのか、今後どのような医療介護を望むのかを確認します。
② ケアプランの作成、周知
日常のケアは、ケアプランに沿って行われます。
本人家族の意向、上記に挙げたリスク等を踏まえた上で、今後どのようなケアをしていくのか他職種協同で話し合い、よく周知しておく事が大切です。
これをしないと、相変わらず一部の職員が『ムリやり全量摂取』をやり続けるという事にもなりかねません。
本人の望まない介助はしない事はもちろんですが、例えば施設で提供される食事にこだわらないというのも一つの選択肢です。以前「老人ホームに入る前は何年もカステラしか食べてなかった」という方にお会いした事があります。そのくらい自由な発想で看ていっても良いのです。
この辺の組織的な流れは、以下から詳しい参考資料がダウンロード出来ます ▼
全国老人福祉施設協HP:http://www.roushikyo.or.jp/contents/research/other/detail/224
3 . 「全量摂取=正義」が時代遅れなワケ
これは介護業界の歴史に関係があります。
今から約10年前、平成18年(2006年)に、『看取り介護加算*1』というものが制度化されました。
この制度により、今まではマイナーだった『施設で看取る』という考えが少しずつ全国の老人ホームに浸透していったという流れがあります。
それ以前はどうだったのかというと、介護施設も病院の影響を受けた価値観があり、「延命は正義」「何が何でも治療しなくてはいけない」「死はいけない事」このような考え方が多くありました。
当然食事介助においても、(いつか来る死を前提とした)本人にとって穏やかな介助など認められるはずもなく、ムリやりにでも全量摂取させて延命する事が正義と思われていたのです。
当時の価値観を不勉強なまま引きずってしまっているのが、冒頭に紹介した新人さんが目撃した施設の姿です。
今では随分と状況も変わりました。先に紹介した書籍など、死生観にまつわる情報も多く発信され、社会的にも無理な延命を望まない声は大きくなってきています。
こうした価値観の浸透は私たち介護職員にとっても救いです。今まで「本当に良いのだろうか?」と悩みながら、苦しい気持ちになりながら『ムリやり全量摂取』を行なっていた、良心ある職員も大勢いたのです。
4 . 良い介護施設の条件
食べる事は生きる事(その逆も然り)。食事介助と死生観の関係についてご理解いただけたでしょうか。
最後にまとめとして、良い施設の条件を箇条書きにしておきます。
死生観なき食事介助は悲劇でしかありません。『ムリやり全量摂取』を止めれば、お年寄りも職員も、皆が今より少し幸せになれるはずです。正しい死生観とノウハウを持った施設(職員)がより多くなることを願っています。
また私自身評論家ではなく実践者ですから、自らの施設、法人においてこうした取り組みを、ちゃんとやっていかなくてはなりません。頑張ります!
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*1:『看取り介護加算』とは、施設で最期まで看取った場合、定められた要件(職員体制、記録、看取りのプロセス等)を満たしていれば、その期間における介護報酬をいくらか割増しますよ、というもの。この加算がある事で、施設が看取り介護を実施するためのインセンティブになっている。