Sow The Seeds

介護の現場から リーダーのためのブログ

【前編】「してあげる場」から「共に営む場」を目指して【特養】

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「仕事つき」「役割を持って」「共生」そんなワードがあらためて熱いように感じる。

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様々な施設の形態、利用者の違い、職員配置の違いなどがあるので一概に語ることはできないのですが…

例えば私が働いている従来型特養やユニット型特養でも、特にユニット型に関して言えば生活の中に利用者にも役割を持ってもらって、家事仕事などにも参加してもらって、活き活きと自立(自律)的な生活していただく、そのような考え方や取り組みはこれまでにも行われていました。

しかし実際には、それらのことを出来る利用者がほとんどいなかったり、行おうにも結局マンパワーを投入する必要がありそこまで職員の手が回らなかったり、利用者の参加とは名ばかりの体裁だけ取り繕ったものになってしまっていたり、それらをする為により基本的な介護が疎かになってしまったり、利用者自身がお世話してもらって当然という姿勢だったり…

まぁほぼほぼ理想論として上手くはいかない場合、おエライさんの自己満足という場合も多かったわけです。

しかし今あらためて、諸事情ありまして『特養(自施設)の在り方』について模索しているところです。今回は、今年度取り組もうかなあと考えている今後の構想について、備忘録として綴っておきたいと思います。

[目次]

 

 

 

1 . 困った利用者Aさんの存在

構想を語る前に、それを考えるキッカケになった利用者Aさん(男性)のお話をさせて下さい。

Aさんは中々の「困った人」です。Aさん自身も困っていますし、我々職員も困っています。

Aさんは要介護3、日常生活動作についてはほぼ自立、認知症はありますがコミュニケーションも明瞭、そして何より体力があり余っている方です。よく歩きます。体力がある分、「俺はこんなに元気なのに何でここにいるんだ」と、老人ホームに入っているという事実を受容することができておらず、また家族もハッキリとは本人に話していないという事情もある方です。

そんなAさんですから、よく「暇だから」と一人で頻繁に1階に降りてしまいます。そしてロビーで新聞を読み、不意に外に出ていかれようとします。

一人で外出したらAさんは戻ってこれません、途中事故にでもあったら施設の責任も問われるでしょう、慌てて職員が引き止めようとします。


うちの施設では普段、利用者が1階に降りる場合も、外に出る場合も、安全確保のためにフロアの介護士が付きそいます。付き添えない状況(フロアから離れらない)の時はAさんを引き止めようとするのですが、Aさんには通用しません。

そんな職員を疎ましく窮屈に思ったAさんは、皆が使えるエレベーターではなく施錠してある職員用階段からこっそり1階に降りる、正面玄関ではなく裏口から外に出るなど、だんだんとその行動をより危険な方法にエスカレートさせていきました。

止めてもかえって危ないので、今は無理に止めるようなことはせず、フロア職員が付き添えない時は1階事務所の事務員にも協力してもらい外に出た際の散歩の付き添いをしてもらうようにしました。もう止めないから、その代わり正面から堂々と出て下さいねと。

職員が付きそうたびに、Aさんは「ここは監獄だな」と言います。

気持ちは分かります、Aさんほどの体力のある方に、特養での生活はあまりにも暇すぎます。職員はより介護度の高い方々への介助(起きる、食う、出す、入浴、寝る)や見守りで手一杯、余暇活動もありますが毎日のことではないのでAさんにとってはあまり意味がありません。Aさんには個人で楽しむようなインドアな趣味もありませんし、退屈になれば「ちょっと外にでも」…となるのも致し方ないことです。

ですが、職員も、Aさんが可哀想というよりはそろそろノイローゼになりそうです。「またか!」と。

今の状況は、Aさんにとっても職員にとっても気持ちが良くない状況です。Aさんが気持ちよく毎日を過ごせるライフスタイルと、その支援の仕方、これを見出したいんだよなぁというのが、最近の課題なのです。



2 . 特養の性質と、Aさんの課題

ここで起こっている問題を、もう少し俯瞰して見てみたいと思います。

私は以前このような記事を書きました▼

www.sow-the-seeds.com

 

この記事では、マズローの欲求5段階説を参考に「ADLの状況に応じて介護上重点を置くポイントを見極める」という考え方を説明しました。f:id:sts-of:20190517034300j:plain心身元気な方ほど図の上段のニーズが高まる傾向にあります。そして老いて衰えるほどに下段に対する支援が重要になってきます。


特養というところはどんな所でしょうか。

平均介護度は4くらい。Aさんほど気力体力に溢れた方というのは多くはありません。

悪い言い方をすると、一日中寝転がったりテレビ見たりしていても、大きな満足はないけど大きな不満もない、そのような方が大勢です。ベッドから起きる、トイレに行く、それだけでも身体介護を必要とする方々です。

施設では、そのような利用者の平均像に合わせて人員配置をし、ルーティンワークを組み、日々の仕事を行っています。

そしてそれは、マズローの図で言うならば、下段のニーズに応えることに重点を置いた仕組みであることを意味します。
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また、利用者の状態や経営面などを鑑みても、これを満たすだけでもかなり精一杯やっているというのが実際のところです。


一方Aさんは、この利用者の平均像の枠、施設側のサービス体制の枠からちょっと外れた存在です。
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多くの利用者には、先ほどの下段を満たす枠組みの中で『大きな充実はないかもしれないけど大きな不満もない生活』を提供することが出来ていました。

しかしAさんは、屋内の日常生活においてはある程度自力で行うことができ、生活上の困りごとは別のところにあります。自らの力を最大限発揮したり、何か役割を持って社会に参加したりと、さらに上段のニーズを満たす必要がありそうです。

またAさん以外にも、不満や希望を言わないだけで、やればもっと色々なことができる方々も潜在的にはいらっしゃいます。

これまでうちの施設ではあまり満たすことの出来ていなかった上段のニーズに対して、そろそろ考える必要があるタイミングが来たのだと感じています。


ちなみに、私は善人ではないので、「身の安全を確保して、なんで更にそこまで考えなきゃいけないんだよ」「そもそもAさんは特養よりマッチする施設もあるでしょうよ」という負の感情がわくこともあるんです。

ですが、家族の事情、金銭的な事情もあってここにいるのでしょう。これから先もAさんの生活は続くわけなので、お互いにとって気持ちの悪い状態のままではいたくない。

また、利用者が違えば必要な支援も違うというのは当然のことでもあります。Aさんを「平均的な枠から外れた厄介者」と捉えるのではなく、(マンパワーではなく仕組みでもって)より幅広いニーズに応えられる施設になれないか?ということを探求してみたいと思ったのです。



3 . 介護施設の『在り方』の問題

もう一つ、介護施設の抱える問題についてお話します。

それは

  • 施設側の「してあげる」のが当然
  • 利用者の「してもらう」のが当然

という文化です。

利用者は、そこを自らの生活の場とは自覚していないことがあります。「家族に無理やり施設に入れられた」「一時的に入院している」など、病院やホテルの延長線上のように考えていることも多いのです。

施設の方も、(介護度の高い方が多いゆえではあるのですが)身体介護から身の回りの生活援助に至るまで、ほとんどのことは施設職員が行ってしまいます。

例えば食事にしたって全員分まとめて作った方が効率的ですし、一人だけ自立度が高いからって「あなたの分は作りませんから自分で作って下さい」というわけにもいかないでしょう。

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図の上段への取り組み、自己実現のための取り組みや、リハビリ、レク、行事なども、基本的にはマンパワーを投じて施設側が『もてなし』てあげている、尽くすことが美徳とも感じられるような文化もあります。

尽くすだけならまだしも、上から目線で利用者を管理しようとする風潮も。

例えば、歩行不安定な利用者が、使用済みのコップを自ら歩いて流しまで持って行こうとしたときに「危ないから座ってて、余計なことしないで」と叱りつける職員も中にはいるのです。

これも利用者にとっての自宅、生活の場であるということの意味を理解していれば出ないはずの言葉ですね。

・・・

生活することは本来、とてもめんどくさいものです。

食うために仕事をし、家に帰る頃には夕飯の支度を考え、帰宅すれば料理をし、ご飯を食べれば洗い物が出る、たまる洗濯物やごみの片付け等々…生きるだけでめんどくさい。

介護の名の下に、このめんどくさいこと全てを奪ってしまったのが、現在の施設の姿なのですね。

私がやりたいこと、それはこの「めんどくさい生活に利用者を巻き込む」という事です。特にAさんを。



4 . さいごに

  • めんどくさい生活に利用者を巻き込む
  • してあげる場から共に営む場に

ポエムのようなことを書きましたが、自分たちの存在意義の定義付けはけっこう大事なことだったりします。

施設の在り方をこう考えたときに、うちの施設でできることは何だろうか?改めて見渡してみると色々見えてくるものがありますね。

私は、より幅広いニーズに応えられる施設にしたいと考えていますが、マンパワーを投じてまで、今行っている基礎的なケアを犠牲にしてまで、何か利用者をもてなそうとは考えていません。

仕事量を増やすのではなく、仕組みやオペレーションの変化によって、何かできることがあるような気がしています。

長くなるので今回はここまで。

次回は、より具体的な案について書いていきたいと思います(そんな大層な計画ではないので、あまり期待はしないで下さいね)。最後まで読んで頂きありがとうございました!


つづきはこちら▼
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