こんにちは、無理やり食事介助が大嫌いなyuです。
介護施設が『無理やり食事介助』をやめる方法、前編では「なぜ無理やり食事介助が起こってしまうのか?」、その複合的な要因について解説しました。
後編では、実際にそれを起こさない施設になろうとした時に何をすれば良いのか、なるべく具体的に考えていきたいと思います。
それでは、よろしくお願いします!
[目次]
1 . 世界の潮流を知る
まず「無理やり食事介助がよくない事」ということを知ってもらうために、いくつか世界の参考になるものを見ていきたいと思います。
私個人の価値観をぶつけるより、その方が納得してもらいやすいと思うので(自虐)。
オーストラリア政府のガイドラインより
オーストラリア政府「高齢者介護施設における緩和医療ガイドライン(2006年)」より
- 食欲がなく食事に興味をなくした入所者に対しては無理に食事をさせてはいけない。単に栄養改善のための積極的介入は、倫理的問題を含んでいる。
- 口渇は少量の水や氷を口に含むことで改善するが、輸液では改善しない。
- 脱水のまま死に向かわせることは悲惨であると思うことが輸液を行う理由にあるが、緩和医療の専門家は経管栄養や輸液は有害であると考える。
このように国として終末期に対するガイドラインを10年も前に発布しています。
無理な食事介助や胃ろうは「非倫理的」「虐待」という考えがあり、麻痺のない利用者が食事に手をつけなければ無理に進めず下膳する、食べないのも権利であると考えます。
参考▼
ハリソン内科学より
アメリカの有名な教科書にも、第1章に「緩和ケアと終末期ケア」の項目が載っています。
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経口、輸液、経管などで栄養を入れても、症状を軽減したり、延命したりすることは出来ない。
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終末期の脱水に対して、家族は「患者は口渇で苦しみ脱水で死ぬだろう」と不安に感じるが「末期の脱水では症状が出る前に意識を失うため苦痛はない」と家族や介護者に教えて安心させる。
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経静脈栄養は、肺水腫や浮腫を増悪させ、死の経過を長引かせることがある。
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嚥下困難状態では、経口摂取を強いてはならない。
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無呼吸や呼吸困難に対して、意識のない患者は窒息や空気飢餓感で苦しむことはないと、家族や介護者に教えて安心させる。
※ 上記説明では「経管栄養では延命できない」とありますが、実際に高齢者の胃ろうが盛んな日本においては、胃ろうによってかなりの期間延命できるというのが実感としてあります。
看取りのスペシャリスト(医師)の著書より
医師、長尾和宏氏の著書から参考になる所を要約して紹介します。
胃ろうという選択、しない選択 「平穏死」から考える胃ろうの功と罪
- 作者: 長尾和宏
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- 多くの病院では1日1500キロカロリーと決めたら、死ぬまでその量を注入する。しかし人間は歳をとると「省エネモード」になるため、高齢では1200、終末期であれば600キロカロリー位でも生きられる。
- そのような状態に1500キロカロリーをムリやり注入すると、痰がらみ、心不全、肺水腫などの弊害(水ぶくれ)が起こり、かえってお年寄りが苦しむ事になる。過剰な水分と栄養が、まもなく旅立とうとするする患者さんをどれだけ苦しめているのか気づいていない医療関係者が多い。
- 私(長尾氏)は患者さんの余命があと数日と判断した時点から、徐々に注入量を減らしていく。これを「しぼる」と呼んでいる。こうする事で枯れるようにラクに最後を迎えてもらうことが出来る。
このように、専門家の意見を見ても、また常識の範囲で考えてみても、加齢と共に枯れるように亡くなるというのは自然の営みとしてごく当たり前のような気がします。
医療(=死との戦い)と介護(=死までのお付き合い)の違いがあまり認識されていない、あるいは死について語ること自体がタブー視されてきた日本において、まだまだこうした考え方は浸透していないですし、海外に見本があっても輸入されにくい現状があるのではないでしょうか。
自然の摂理より
私の過去記事より引用します。
動物社会においては「老後」はありません。人間ですら、歴史上99%の期間においてはほとんど「老後」を享受できる時代はなかったようです。
最も大きな要因は食料調達の問題です。
歳をとり足腰が弱ったり病気をしたりすると、狩りに出て食料を調達する事が出来なくなります。また誰かが調達してくれたとしても、歯が抜け咀嚼が出来なくなり、飲み込む事が出来なければ食べる事が出来ません。そうなれば徐々に衰弱し、枯れるように亡くなる他ありません。
食べられなくなる。それが寿命を決める最も原始的な要因だったのです。
現代社会においては、入れ歯、柔らかい食事や流動食、胃ろう、点滴など様々な手法でこの食料調達の問題を克服し、限界ギリギリまで生きられる社会になっています(これが良いのやら悪いのやら…)。
2 . 食事介助の段階を共有する
命をつなぐ最も基本となる動作が「食事」です。
この食事には、加齢(に伴う心身機能の低下)に合わせた介助の段階があります。
この段階を視覚化し、施設で、あるいは入居者家族とも共有しておく事が必要です。
意外に思われるかもしれませんが、このようなプロセスは介護職員は皆それぞれ頭の中で漠然とイメージしているだけで、しっかりとは共有されていない事がほとんどです。
職員それぞれが何となくの認識でやっている。
だから『無理やり食事介助』に対しても人ぞれぞれの認識、起こってもいても家族に連絡や相談もない(相談するべきタイミングという認識がない)、苦しむ利用者、本当に良いのか悩む職員… このような問題が発生するのです。
3 . 口まで運ぶ、開かなかったらそれ以上はするな
どの程度なら自然な介助、無理やりではない介助だと言えるのか?
私の率直な意見としては
『食べ物を口まで運び、そっと口元に触れさせる。それで口が開いたら召し上がっていただく、開かなければそれ以上無理する必要はない。』
と考えています。
本人の意にそぐわない、痛みを伴うほどの無理な食事介助は虐待です。
あまり意味のない介護技術
意識レベルの低い人だと、無理に口に食べ物を入れても噛んでくれない、飲み込んでくれないという事があります。
そのような時に頰の周りをマッサージするという技術があります。
そうすると反射的に唾液の分泌や嚥下が促されるのですが、あくまでそれは反射です。自ら食事をしているのではありません。
このような技術を要するほどの状態で、無理に食べさせる必要はないと考えます。
口が反射的に開きやすい場所を見つけ、そこからスプーンを滑らすように入れるというのも、あまり意味のない技術です。
これらの技術を要する時というのは、家族がどんな手段であれ延命を望む場合(ただし、無理やり食事介助をするくらいなら胃ろうにした方が苦痛は少ない)、あるいは家族の意向が確認できず、経過的・一時的に行っている場合に限ります。
基本的には、利用者も介護士も気持ちよくない事なのでやるべきではない、最終手段といったところです。
※ ここまでの説明と2つの図表、これを施設内で共有する事が出来れば、『無理やり食事介助』は随分と減らす事が出来ます。しかし、この一つの考え方を、クセの強い各職種長に言って聞かせるわけですから、これには施設長の理解と大号令が必要になります(これがまた難しかったりします)。また、立場ある人が現場を見て、実情を適時把握するような取り組みも必要です。
4 . 食べられなくなることは覚悟しておけ
85歳以上の高齢者の、2人に1人は認知症であると言われています。
中でも多い「アルツハイマー型認知症」。
脳にアミロイドβやタウと呼ばれる特殊なたんぱく質が溜まり、神経細胞が壊れて死んでしまい減っていく為に、認知機能に障害が起こる病気です。
また徐々に脳全体も委縮していき身体の機能も失われていきます。
一般的に認知症と聞いて連想するのは、物忘れや迷子などの「ボケ」の症状です。
しかし、脳が萎縮し身体機能にも影響を及ぼしますから、末期には身体が動かなくなる、食べたり飲んだりができなくなる、というのも認知症の症状の一つとして必ず待ち構えています。
それを想定した上で、受けたい介護、受けたい医療を考えておく事が必要なのです。
あなたなら、人生の終末期となった時、どのような介護のプロセスを望みますか?
5 . 人生は楽しむためにある
薄れゆく意識の中で、時々無理やり口に何かを入れられ苦しい思いをする。自らの意思を表明することもできない、自由に動くことも叶わない…
そのような状態になってまで、痛みを伴う食事介助によって延命してもらいたいと、果たして本人が望んでいるケースというのはどの位あるものでしょうか?
実際にお年寄りと話をしていると、こちらが思っている以上に「死」を覚悟し、遠くない将来にくるその日のことを受け入れている人が多い事に驚かされます。もちろん人にもよりますが…
覚悟なく、生活の質を無視してまで、つい延命を選択してしまうのは大抵は介護する側なのです。
誤解を恐れずに言うなら、高齢・終末期における介護とは、「いかに苦痛なく死なせてあげられるか」です。
死といういずれ来るその時まで、どれだけ心身楽に穏やかに過ごしてもらえるかが大切です。苦痛を与えてもなお延命が良しというやり方には、私はどうしても馴染めません。
みなさんはどう考えますか?