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ヒト本来の寿命は50〜60歳という生物学的視点【書籍紹介・安楽死・死生観の授業6】

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現在、日本における平均寿命は男性は80.79歳、女性は87.05歳。

その昔、織田信長は「人生50年」と言ったそうですが、いま人生を50年と考えている人はほとんどいないでしょう。


ある生物学者の方はこのように言っています。

サイズの生物学というのですが、大きい動物ほど脈拍はゆっくり、小さい動物は脈拍が早い。しかし長生きのゾウであれ、短命のネズミであれ、一生のうちに心臓が脈打つ回数は15億〜20億拍である

寿命に違いのあるこれらの動物も、一生のうちの脈打つ回数は同じわけだから、時間の感覚がゆっくりか早いかという密度の違いだけで、一生を使い切ったという感覚は同じなのではないか。


では、この法則を人間のサイズに当てはめるとどうなるのか・・・。生物学的に見るとヒト本来の寿命は50〜60歳程度のようなのです。

現代社会は文明の発展とともに随分と長生きする事が可能な社会になりました。しかしそれによって「ボケ」や「老後の不自由」の恐怖に私たちが囚われているのもまた事実、少子高齢社会に悩んでいるのもまた事実です。

人はどのように生きてどのように死んだら良いのか、改めて生物本来の視点から考えてみるのも面白いかもしれません。

 [目次]

 

 

1 . 書籍紹介

今回お話をするのは、以下の書籍の内容を要約したものになります。また、その内容を踏まえた上で、最後に私自身の死生観についても綴らさせていただきます。

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

 
【文庫】 「長生き」が地球を滅ぼす 現代人の時間とエネルギー (文芸社文庫 も 3-1)

【文庫】 「長生き」が地球を滅ぼす 現代人の時間とエネルギー (文芸社文庫 も 3-1)

 

本川 達雄(もとかわ たつお、1948年4月9日- )は、日本の生物学者、シンガーソングライター。東京工業大学名誉教授。専攻は動物生理学。

1948年、宮城県仙台市で生理学者の本川弘一(後に東北大学総長)の息子として生まれる。宮城県仙台第一高等学校を経て、1971年、東京大学理学部生物学科(動物学)卒業。東京大学助手、琉球助教授、デューク大学客員助教授を経て、1991年より2014年まで東京工業大学。

研究対象は、棘皮動物キャッチ結合組織や、ホヤを題材にしたサイズの生物学(アロメトリー)など。

一般への科学普及に力を入れており、多数の著書がある。中でも、アロメトリーという日本でなじみの少ない学問を平易に解説した『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書)はベストセラーになった。高校生物の教科書や参考書も執筆している。

引用:本川達雄 - Wikipedia

 「長生き」が地球を滅ぼす〜とは随分過激なタイトルにも見えますが、あくまで生物学者の立場に立った解説をしているだけで、決して高齢者を批判したりとか誰かが不快になるような内容ではないのでご安心ください。



2 . 人の寿命の歴史

冒頭にヒトの寿命は50〜60歳という話を紹介しましたが、これは平和に生きられたらの話でして、自然界ではもっと厳しい環境が待ち受けています。ヒトサイズの動物ですと平均的な寿命は26歳くらいになるそうです。

そんなに短命⁉︎と思われるかもしれませんが、人の歴史を辿ってみるとこれもあながちおかしな数字ではなさそうです。

縄文時代から現代までの寿命を見てみるとこのようになっています▼

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こうして見ると、かなり最近まで人の平均寿命は50歳に達していなかった事がわかります。

縄文〜室町時代までは長くて30歳。15歳くらいに子供を産んで、その子供が15歳くらいになるまで育てたら寿命が来るという、当時は人間様と言えども動物としてごく自然なサイクルだったようです。

縄文時代の始まりが15000年ほど前。江戸時代が終わったのが150年ほど前。つまり成人を迎えた人が50歳以上生きられるようになったのは、人間の歴史上ごく最近1%の出来事であるという事です。



3 .「老後」のない動物社会

当たり前のように使う「老後」という言葉。

しかし動物社会においては「老後」はありません。人間ですら、歴史上99%の期間においてはほとんど「老後」を享受できる時代はなかったようです。


最も大きな要因は食料調達の問題です。

歳をとり足腰が弱ったり病気をしたりすると、狩りに出て食料を調達する事が出来なくなります。また誰かが調達してくれたとしても、歯が抜け咀嚼が出来なくなり、飲み込む事が出来なければ食べる事が出来ません。そうなれば徐々に衰弱し、枯れるように亡くなる他ありません。

食べられなくなる。それが寿命を決める最も原始的な要因だったのです。

現代社会においては、入れ歯、柔らかい食事や流動食、胃ろう、点滴など様々な手法でこの食料調達の問題を克服し、限界ギリギリまで生きられる社会になっています(これが良いのやら悪いのやら…)。


もう一つは衛生面や医療面

エアコンのない時代、病気も気軽に治せない時代、今のように衛生環境が整えられておらず感染症を起こしやすい時代…

当然、動物としての命の消耗が激しかったであろうことは容易に想像できます。



4 . 人間は「恒環境動物」である、という考え

「単細胞生物」「変温動物」「恒温動物」子供の頃理科の授業で習った言葉です。前に書いたものほど原始的な生き物です。


変温動物は普段は体温も低く省エネです。日の光を浴び体温を上げることで素早く動けるようになります。しかし体温が低い時は体の動きも鈍く思うように動けません。

恒温動物は、体温を常に一定に保つことでいつでも俊敏な動きが可能になりました。この恒温性のおかげで、エサをとるにしても外敵から逃げるにしても、安定した動きが出来ます。その代わり、体温を一定に保つために変温動物に比べると常に大量(約30倍)のエネルギーを消費しています。


人間はもちろん恒温動物のはずです。しかし実は、人間はさらに進化を遂げて別の生き物になってしまったようなのです。

変温動物か恒温動物か、体のサイズはどれくらいかによって、その動物が消費するエネルギー量というのは決まってきます。変温より恒温、小さいより大きい動物ほどエネルギーの消費量は大きくなります。

ヒトの体の標準代謝量(消費するエネルギー)は73.3ワットだそうです。これに加え、人間は石油など外部の資源を利用し大量のエネルギーを生み出し、そして消費しています。これを加味して考えると現代人の標準代謝量は2442ワット。ヒトの体が本来使う分の30倍以上ものエネルギーを消費している事になります。体重5tのゾウなみです。


こうして得たエネルギーを使って、洋服、エアコン、治療、衛生、移動手段など、体温だけでなく、体の中も外もありとあらゆるものを恒常的にコントロール出来るようになったのが人間です。

変温動物から恒温動物に進化するにあたって、エネルギー消費量は30倍になりました。そして、恒温動物の30倍のエネルギーを消費している私たち人間。

単細胞生物→変温動物→恒温動物→(New)恒環境動物!人間は生物学的に見ても別の次元にあるという事を自覚しておいた方が良さそうです。



5 . 私は安楽死で逝きたい

人間の文明は、より贅沢を求めて欲望に沿って発展してきました。*1

より快適に、より便利に、より早く、より多く、より楽に、こうして様々な科学技術に磨きをかけヒトの限界を大きく拡張してきたのが人類の歴史です。

これが不自然だからといって、今さら原始時代に戻ることは出来ません。私も嫌です。

「老後」や「長寿社会・少子高齢社会」は、文明の発展が生み出したある種の歪み、しわ寄せです。皆んなこのしわ寄せに将来を不安に思い、高齢になると苦しむのです。


このしわ寄せとどう向き合うか。

日本において、全ての高齢者に安楽死を選択できる自由が欲しいというのが私の願いです。

一般的な倫理観として「与えられた命を自分で断つような事は悪」という考えがあります。私も若者の自殺などには反対ですし、胸が痛みます。

ですが普段自覚がないだけで、人間はもうすでに命を自由にこねくり回している存在です。臓器移植、ペースメーカー、入れ歯、胃ろう、人工骨頭、抗生剤など、ありとあらゆる治療は「より快適に、より命長く、より苦痛なく」という人間の欲望を満たすために行われています。

歳を取ったら、寿命をどのように迎えるかについても人間らしく「より楽に」逝ける選択肢があっても良いのではないでしょうか。

自分の人生に満足し、もはやこれまでと悟った時。親しい人を呼び思い出を語らい、後世に伝えたい言葉を伝え、好きなものを飲み食いし、最期は苦痛なく皆んなに見守られながら逝ける、という贅沢を私は最期に味わいたいのです。


 

*1:

参考▼
ドイツの経済学者ゾンバルト(1863-1941)は、資本主義というシステムを生み出し牽引したのは「贅沢」であり、「贅沢」を辿っていくと「恋愛」に行きつくという持論を展開。

恋愛と贅沢と資本主義 (講談社学術文庫)

恋愛と贅沢と資本主義 (講談社学術文庫)