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介護の現場から リーダーのためのブログ

「科学的介護」の推進は、たぶん大失敗する

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政府が推進している科学的介護。

  • どのような状態に対してどのような支援をすれば自立につながるか明らかにし、自立支援等の効果が科学的に裏付けられた介護を実現するため、必要なデータを収集・分析するためのデータベースを構築する

  • ケアの分類法等のデータ収集様式を作成し、データベースの構築を開始し、2019 年度に試行運用を行い、2020 年度の本格運用開始を目指す


皆さんはこの方針をどのように考えますか?うまくいくと思いますか?それとも的外れな施策だと思いますか?

私は、高確率で盛大に失敗するだろうと思っています。今回はその理由について語らせて頂きます。

 

[目次]

 

 

1 . 「科学的」とはどういうことか

そもそもですが「科学的な」介護とはどういうことか。これを説明できる人は意外と少ないので、改めて説明します。

端的に説明すると、

「膨大な臨床データを元に、再現性が担保された方法」

これを科学的と言います。


例えば医療の場合、「風邪をひいて熱を出したらA薬を処方する(本当はもっと色々な所を診ているのだと思いますが)」という対応、これは大体どのお医者さんに診てもらっても同じ対応をされます。

それは、この方法がデータの蓄積によって再現性の高い方法として確立されており、標準化されているからです。


このように介護においても、「このようなリハビリをやったらこうなる」「このような対応をしたら認知症の周辺症状が和らぐ」といったデータを蓄積し、再現性の高い方法を見出そう、そしてその再現性の高い介護(=科学的介護)を行なっていこうというのが政府の方針です。

いわゆる「科学的介護」のエビデンスを確立していく基盤となる国の新たなデータベース「CHASE(チェイス)」−− 。厚生労働省は来年度から構築を始める初期仕様に蓄積していく情報の範囲を固めた。

中略

「時間の経過とともに症状が進行していく認知症は、ケアの介入効果を検証することが難しいのが現状。そこでAIの研究者が立ち上がった」。エクサウィザーズの石山洸代表取締役社長はそう話す。ビッグデータを紐解くことで、介入すべき最適なタイミングを予測できるようにしていく。それに基いて実際に介入した効果を把握。多くのケースを比較してより有効なケアの推進につなげるなど、「予測〜介入〜評価」のサイクルを作っていく構想を描いている。

出典:【科学的介護】新データベース「CHASE」にどんな情報を蓄積していくか

 

2 . 科学的介護の目的

では、なぜ科学的介護を推進するのか。主な目的は2つです。

  1. 高齢者の健康寿命を延ばし、ADL、QOL共に高い状態を維持してもらう

  2. 介護を必要としない人を増やす。あるいは介護度の重度化を予防することで、社会保障費を抑制する


政府の発表によると、今年度の医療費は39.2兆円、介護費は10.7兆円。それが2040年度には、医療費は1.7倍の約67兆円、介護費は2.4倍の約26兆円へ膨らむとされています。

「2040年を見据えた社会保障の将来見通し(議論の素材)」等について |厚生労働省

 

また、介護職の人材不足も問題となっています。年々進む高齢化に対応するためには、2025年度までに245万が必要(2016年時点では190万人)とされており、新たに55万人の人材確保が必要とされています。

第7期介護保険事業計画に基づく介護人材の必要数について |報道発表資料|厚生労働省

 

こうした危機的な状況を少しでも緩和させるためには、少しでも介護される人を減らさなくてはいけない。だから皆さん、懸命にリハビリに励んで下さいね!それに健康寿命が伸びれば、結果的に本人も幸せでしょ!ということです。



3 . 科学的介護が失敗する理由

科学的介護を推進する理由は「①健康寿命を延ばす ②社会保障費を抑制する」事だと述べました。

第一の目的である健康寿命の増進。これは、軽度の要介護者に対して、通所リハなどのサービスにおいては、ある程度効果をあげると思います。あるいは、今現在やっていることが、実は知らぬ間に効果をあげていて、それが証明されるなんてこともあるかもしれません。

しかし2つ目の目的、社会保障費の抑制、これはかえってより膨張するのではないかと考えます。なぜかと言うと・・・

 

① 適切なタイミングで、適切なケアに入るには、より多くの人出が必要だから

例えば、「1日に〜くらいの運動量をとると健康寿命に良い」「認知症のこの症状に対して、〜のようなアプローチをすると周辺症状が和らぐ」といったことが科学的に証明されたとします。

しかし、そのようなケアを適切なタイミングで、適切な量を、一体誰が行うと言うのでしょうか?

今でも、不安や不穏で暴れる利用者に対して、丁寧なケアを試みようにも大勢のケアをやりながら構っている時間がないというのが現実です。

食事介助、入浴介助、排泄介助、リネン交換、記録等々、様々な業務を行う中で、個別に適切なタイミングで適切な量のケアを提供するためには、より多くの人出が必要になるのは明白です。


② 方法論は分かっても、利用者はそれをさせてくれない

例えば、「1日に〜くらい水分をとると良い、〜くらいカロリーをとると良い」「1日に〜くらいの運動量を確保すると良い」ということが科学的に証明されたとします。

しかし、実際にはそれだけのことをさせてくれない利用者が大勢います。

「ご飯?もういらない、お茶も飲みたくない」と。

過去記事においてもお話ししましたが、老化に無理に抗い、無理やり口に詰め込むなどの行為を正当なケアとしてしまう事は、虐待以外の何者でもありません。

参考過去記事▼それを暴走させることなく、利用者一人一人に対して見極めながら行えるのか?かなり難しいだろうなと。


③ 職員の「分かっちゃいるけどできない」問題

介護の仕事は、肉体労働であると同時に、感情労働とも言われています。

感情労働とは、感情が労働内容の不可欠な要素であり、かつ適切・不適切な感情がルール化されている労働のこと。肉体や頭脳だけでなく「感情の抑制や鈍麻、緊張、忍耐などが絶対的に必要」である労働。

出典:感情労働 - Wikipedia

単純にオムツ交換をする、食事介助をするなどの作業であれば、それは肉体労働と言えます。

しかし介護士は、利用者の精神的安心のため、あるいは認知症の周辺症状を和らげるために、より穏やかに、優しく、自らの感情をコントロールすることが求められます。

科学的にそのような対応が良いケアだと証明されたとしても、それを常に実践し続けるのは至難の技です。

恵まれた労働環境(人員、給与など)なしに、それをやれと言ったところで無理です。

また、それが実践できるほどの能力を持った職員を揃えるためには、今より介護の世界が働く人にとって旨味のある業界、人気があり求人に人が殺到するような業界でなくてはなりません。



4 . 予測される未来像

重度の方に対する介護や、生活の場である入所系サービスにおいて、この科学的介護を実践すること…

前述したように、これはかなり難易度が高く、またそれを最大限実現しようとした場合には、より膨大なコストがかかることになります。

2040年度には医療費は約67兆円、介護費は約26兆円かかるという試算。

介護費は医療費のおよそ1/3に収まっていますが、この科学的介護を実践することを本気で進めた場合には、介護費はより膨張し、医療費に匹敵するほどの一大社会保障産業になることでしょう。

そして、そのような未来を国は望まないですし、認めないでしょうから、結局「科学的介護」は絵に描いた餅として空中分解するのではないでしょうか。



5 . 本当の意味でのパラダイムシフト

安倍首相は過去に、成長戦略を議論する『未来投資会議(2016年11月)』において「パラダイムシフトを起こす。介護が要らない状態までの回復を目指す」として、自立支援を中心とした介護に軸足を移す方針を宣言しました。

パラダイムシフトとは、「時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化すること」を言います。

介護現場に長くいた私からすると、この方針はとてもパラダイムシフトと呼べるようなものではなく、今までやってきたことの延長線上にある対処療法に過ぎません。


相対的に日本国民が幸せになるような社会保障のパラダイムシフトとは何か?

私の考えは

  • 一定の年齢以上の全ての人に安楽死する権利を与えること。そして、病院、介護施設、在宅において安楽死ができるような体制を整備すること

  • 介護において、無理やり食事介助を全面的に禁止すること

  • ベーシックインカムを導入すること

 

の三つです。

一つひとつに対する細かな説明はここではしませんが、方向性を簡単にいうと

健康寿命と寿命のギャップを、寿命を縮めることによって解消する。これをする事で、本人や家族の高齢期における苦痛の軽減、不安の軽減、及び社会保障費の抑制ができる。

安楽死やベーシックインカムの整備は、人の潜在的な不安を和らげ、生活満足度・幸福度を上げるのではないか。また、消費の伸びにもつながるのではないか。

と考えています。

そのくらい抜本的な改革をしなくてはパラダイムシフトとは到底言えませんし、キレイ事や対処療法でなんとかなるほど事態は軽くないのです。

的外れな施策に、時間も労力もお金も消費されていく恐怖…



6 . さいごに

最後に、ものすごく元も子もない話をします。

良い介護とは何かという話です。

科学的介護によって、もしかしたら誰でも効果的な介護が出来るようになるかもしれません。しかしそれがいわゆる高齢者の疾患に目を向けたものである場合、 その方の人格や人対人の繋がりといったものは度外視されることになります。

私が長年介護現場で仕事をしてきて、究極と思える介護とは、「人生の最期に、あなたに出会えてよかった」「あなたにやってもらえるなら安心」と思ってもらえる事、利用者の心を救える事です。

例えば、技術の未熟な職員であっても、利用者にそう思わせることが出来れば勝ちですし、どんなに大層な知識や技術を駆使していても「あの人は怖い、世話になりたくない」と思われたら負けなのです。

介護は、日常生活上のお世話なのか、はたまたリハビリ・アンチエイジングなのか、これからも当分迷走が続きそうですね。