私ごとなりますが…私には母が二人います。
小学校低学年のころ両親が離婚し、私は父に引き取られました。それから少しの間父と二人で生活、その後父は再婚し新たな母を迎えたという経緯です。
私の母親になれるのか、私が母を認めてくれるのか
結婚した当初、新しい母はきっとそのような不安や心細さを抱えていたと思います。
私は子供ながらに気を使いまして、自分の中で誓いを立てました。
- 他人ではなく母として接すること
- この先ケンカしたり仲が悪くなる時もあると思うけど、決して「本当のお母さんじゃないから」といった類の発言はしないこと
小学生〜家を出るまで、まだ幼く多感な時期であった私を、新しい母はちゃんと母らしくて育ててくれました。
「ちゃんと」と言うのはつまり、良い時も悪い時も責任を持って面倒を見てくれたという事です。
家族とは何か…
この経験のおかげで私にはそんなことを考える機会が与えられたと思います。
私にとって家族とは「苦楽をともに出来るかどうか、相手の人生に責任を持てるかどうか。」であると思っています。
責任が持てるのであれば血の繋がりは関係ないし、逆に血が繋がっていても責任を持てなければそれは家族とは言えないと思っています。
さて、話を表題の件に戻します。
2年前の4月、私は役職を持って今の施設に異動してきました。
この時の私の気持ちは、当時の母とよく似た気持ちです。
部下になる職員がいるけれど、私が一から育てたわけではない。考え方の違いや文化の違いもある。けれど、これからは自分の部下として接しなくてはいけないし、良いことも悪いことも受け入れなければいけない。良いときは部下のおかげ、悪いときは私の責任。
そのような気持ちで臨みました。
兵士たちを赤子のように見て、一緒に深い谷へと赴く。兵士たちを、かわいい我が子のように見て接すると、それによって生死をともに出来るようになる。
しかし、手厚くするだけで仕事をさせることが出来ず、可愛がるだけで命令することが出来ず、でたらめをしていてもそれを止めることが出来なければ、それは驕り高ぶった子供のようなもので役に立たない。
子が親を選べないように、部下も上司を選べません。
上司になる全ての人には、やはりそれなりの実力と責任感が求められますし、それを身に付けるために真摯に学び続けることが求められるのではないでしょうか。
一方で、部下として新しい上司を受け入れる側にも、ひとつ気遣いというか、優しさが求められます。
知人の勤める施設で、新しい部署長に対し協力的でない部下、それによってギクシャクしているという話を聞きました。
今までそこにいた人たちにとって変化とは恐怖ですし、これまでの環境というのはある意味既得権と言えます。
人間関係は互いの努力ですから、部下からも歩み寄る姿勢は必要です。心細い上司に、少しは優しくしてあげる気持ちがあっても良いのかなと。
もっとも、部下のそういう気持ちを引き出すのも、上司の実力のうちなのかもしれませんが…
兵士たちがまだ〔将軍に〕親しみなついていないのに懲罰を行うと彼らは心服せず、心服しないと働かせにくい。〔ところがまた〕兵士たちがもう親しみなついているのに懲罰を行わないでいると〔威令がふるわず〕彼らを働かせることはできない。
信頼関係と信賞必罰…
上で引用した孫子の言葉は、いずれも信頼関係と信賞必罰の必要性を説いたものです。
私も、この2つの要素なしには、組織(あるは上下関係)は健全に機能しないと考えています。
一方性悪説で有名は韓非子では、信賞必罰の必要性は強調されていますが、信頼関係といった情緒的なことに関してはむしろ否定的です。
これは時代背景の違いが大きいのかもしれません。
当時(紀元前250年前後)は中国戦国時代の最中。裏切り、謀略、殺しがとても身近で生々しい時代です。罰についても「灰をポイ捨てしたら腕切り落とす」など、主君が振るう権力も今とは次元が違います。
現代社会においては、必ずしも立場が上=強者とも言い切れません。
二つ目の問題は、労使間の信頼関係の欠如である。労働者は雇用主に対して疑心暗鬼になり、仕事の減少に繋がりかねないことには何によらず抵抗した。長いこと搾取されていきた労働者たちは、何事も契約できっちり決めることを要求する。
中略
雇用主が労働慣行を改善しようとするたびに、あちこちの港でストライキが起きた。ロサンゼルスでは荷役の機械化を巡って労使が対立したため、1927〜54年に労働生産性が75%も落ち込んでいる。
何はともあれ、異動した人、迎える人、互いに一からひとつの共同体を作っていこうとするわけですから、タックマンモデル*1でも言われるよう、混乱期(メンバー同士の意見、価値観の相違がぶつかりあう時期)はありつつも、お互い礼儀や歩み寄りは忘れないようにしたいですね。