夏祭りの時期ですね。
私が働く老人ホームでも先日納涼祭が行われ、近所の親子連れが多くいらっしゃり盛り上がりました。お年寄りの喜ぶ顔、地域の方々との交流、中々やりがいもあり大変微笑ましいひと時でした。
しかし私は正直申し上げますと、老人ホームで行う季節行事に関しては、やや否定的な見方をしています。なぜ否定的なのか、今回はその辺りの所感を綴ります。
[目次]
1 . なぜ季節行事をやらなくてはいけないのか
まず初めに、なぜ全ての老人ホームで季節行事が行われているのか説明します。
一言で言うと、法令で定められているからです。老人ホームを運営するに当たって、下記の運営基準が定められています。
指定介護老人福祉施設の人員、設備及び運営に関する基準
介護保険法 (平成九年法律第百二十三号)第八十八条第一項 及び第二項 の規定に基づき、指定介護老人福祉施設の人員、設備及び運営に関する基準を次のように定める。
〜中略〜
(社会生活上の便宜の提供等)
第十六条 指定介護老人福祉施設は、教養娯楽設備等を備えるほか、適宜入所者のためのレクリエーション行事を行わなければならない。
一般的な老人ホームは、介護保険制度の元で運営されています。利用者はサービスを受けると利用料の1割を支払い、残りの9割は国民が払った保険料や税金が介護報酬という形で事業所に支払われます。
※所得によっては2割負担の方もいます。
つまり、公的サービスという側面が強いため、施設によって極端にサービスの内容や質が違ってはいけないと言うわけです。そのため、サービスの内容や質についても、運営基準によってある程度コントロールされています。
このような理由から、施設では毎月のように行事を企画し行っているわけですが、通常業務でも手一杯ですから、こうした行事の準備〜実施〜片付けにかかる労力(人件費)はバカにならない状況です。
2 . 介護保険事業であるという事
保険とは本来、皆んなで普段から少しずつお金を出し合ってプールしておき、いざと言う時に困った人に給付できるようにするものです。
しかしここで、現在の制度には2つ疑問が生まれます。
① 保険制度としては、すでに成り立っていない?
保険と言うからには、本来であれば「保険料として皆んなが支払った額の合計 ≧ 給付するお金やサービスの合計」でなければいけません。
皆んなから集めたお金の範囲内で、サービスを提供するのが本来です。
しかし実際には、徴収した保険料だけではサービスは成り立たず、保険料50%税金50%の割合で介護報酬は支払われています。
https://www.minnanokaigo.com/guide/care-insurance/
http://www.zaisei.mof.go.jp/pdf/社会保障給付と財政の関係.pdf
つまり財政面から見た場合、現在の介護保険サービスというのはかなりの過剰サービスになっているという事です。
国家予算においても1/3は社会保障費が占めており、これはその他の項目をダントツで圧倒する割合です。また、その規模も年々急増しており、未だ出口も見えない状況です。
平成28年度一般会計予算(平成28年3月29日成立)の概要 : 財務省
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/shakaihoshou/dl/05.pdf
社会保障給付の多くは医療と年金が占めており、介護はその二つと比べると割合は小さいのですが。それにしても、あらゆる分野で公費を投じた過剰なサービスは今後さらに是正せざるを得ないでしょう。
また人口の変化、高齢者と現役世代との比率についても年々深刻化していきます。
こうした財政的な厳しさと少子高齢の進み具合から考えると、どう考えても今後はより少ない労働力でより多くの高齢者を見ていかなくてはならない状況なのです。
② 困った時の介護保険、本来の意味とは?
困った時に、保険と言うのはとても有難いものです。
しかしここで、根本的なところを振り返ってほしいのですが、介護保険の本来の意味ってなんでしょうか?困った時ってどのような状態を指すのでしょうか?
- おばあちゃんに、毎月季節の行事をして楽しませてあげたいわー。新年会、節分、鯉のぼり、夏祭り、秋祭り、ハロウィン、クリスマス、餅つき、忘年会…やってあげたいわー
- 毎日歌ったり、塗り絵したり、体操したり、家でもしてあげてたわー
介護で困った時(ニーズ)って、そう言う事でしたか?
違いますよね。加齢に伴って心身の能力が低下して、身の回りのことも満足に出来なくなって、最初は家族が面倒見ていたのだけれど、それでも面倒見切れなくなって、そこで公的保険サービスに頼るわけです。
食事、排泄、入浴、睡眠、安全、健康、そういう生きる上で最も根本的な「生活上の世話」、そのニーズに応えるのが、介護保険の本来の意味であったはずです。
カツカツのお財布事情で、さらに公的資金を膨らませて、現場の業務負担や経営負担を増やしてまで、こうした季節行事等余暇支援を行うことが本当に正しい事なのか、正直疑問に思っています。
3 . 大きな流れとして、今後の老人ホームの機能はどうあるべきか
日常生活上の世話は老人ホームが請け負うのは良い事だと思います。24時間体制で専門職がいますから、家にいた頃より健康的な生活が送れる可能性も高いです。
しかし季節行事に関してはご家族がお祭りに連れ出すなり何なりやってくれれば良いのではないかと思います。
そもそも、多くの家庭ではどのくらいの頻度で季節行事をやっているのでしょうか?
子供が小さい時なら頻度も高そうですが、大人になってからは少なくなる人も多いと思います。各家庭の習慣に合わせて、お年寄りも家族の一員としてご家族にてやっていただければ、それが一番望ましい事だと思います。
身寄りのない人はどうするか。
これはしょうがないとしか言えません。結婚しなかった選択、あるいは身内に先立たれた不幸、これはもうしょうがない事だと思います。だから可哀想と言う感情であれもこれもしてあげようというのは、ちょっと余計なお世話というか、制度を破綻させてまでやる事ではないと思います。
4 . さいごに
「社会保障に金の話を持ち込むな!」という方がいるかもしれませんが、それは無理な話です。
例えば一般家庭においても、稼ぎが多ければ海外旅行もするし高級なお店で外食もする、稼ぎがなければ質素に自炊し工夫する、給料に応じて生活をする。それは当たり前の事です。
良識のある人で、「豊かな生活をする権利は誰にでもあるのだから、孫の名義で借金して美味いもん食べよう」と言う人はいないです。でも実際には、国の制度設計はそのような状況になっています。
お年寄りは良いサービスに期待する。政治家は票が取れるからと、お年寄りが喜ぶ制度設計をする(その分若者からお金を取るけど、あいつら投票率も低いし文句も言わないし、このくらいやってもバレないでしょ。自分が引退するまで、その場をしのげればいいや)。そんな事が今日までずっと状況を悪化させてきました。
キレイ事で済ませる事はもうやめて、お年寄りも若者も、お金についても死についても、正面から正直に向き合い、制度設計を考えていく事が求められています。
※老人ホームにおける行事やレクについて否定的な事を書きましたが、矛盾しますが「行事やレクが良い」と思っている部分もありまして、それはまた【後編】に綴ります。
8月11日、【後編】を更新しました▼