Sow The Seeds

介護の現場から リーダーのためのブログ

介護は「させて頂いている」のか「してあげている」のか、私的結論。

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「介護は『してあげてる』んじゃない。『させて頂いている』と思え」

いつからか、誰からか、そのような言葉をたまに聞くことがある。

介護の仕事は、意識して気をつけないと「してあげてる」感に支配される。年上の人に対する礼儀も、お客に対する礼儀もなくなっていくリスクのある仕事だ。それがエスカレートすると虐待だって起こりうる。

おそらく、そのようなリスクを危惧した誰かが、それを戒める意味で「させて頂いている」と教育するようになったのではないか。


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利用者(もしくは家族)が料金を払っているから、「させて頂く」なのか?
否。収入の9割は税金や保険料であり、その人から頂いているというよりは、世間様から頂いている、そして私も払っている、というのが社会保険事業の実態だ。

人生の先輩だから、「させて頂く」なのか?
否。そんな儒教的な考えは私にはない。年上の人には当然それ相応の礼儀で持って接する。けれど、無条件でお年寄り全員に対して謙り(へりくだり)、「させて頂く」というのも、違和感がある。

豊かな日本を築いてくれたから、「させて頂く」なのか?
否。戦後の復興、経済成長など豊かな日本を誇り感謝する気持ちはもちろんある。しかし、ここ30年の経済停滞や、社会保障にまつわる世代間格差など、若ければ若いほど先行き暗い状況がいまの日本という側面もある。一概に「どっちがどっちに恩があるから世話をして恩返ししろ」と単純には言えない。恩や損得は単純な一方通行ではない。

では、やっぱり「してあげてる」のか?
否。給料が発生している。自らの善意で無償で行わない限り、「してあげてる」とは言えない。考えられない。


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私には、「してあげてる」気持ちも「させて頂いている」気持ちもない。

あるのは、私は、この仕事によってお金を得て、今日まで生かされているという事実。だから、仕事は真面目に誠実にやろうという気持ち。それだけである。

お金の原資がどこからなのかも関係ない。

ただ間違いなく、私はこの仕事によってお金(生きるための糧)を得て、そして今も生きている。その事実に対して誠実に付き合っていきたい。

利用者だろうが誰だろうが、一般常識並みの礼儀を意識していれば、相手を(あとそれを見た第三者も)不快にさせないよう留意した声かけ、言葉遣いをしていれば、誤ることはそうそうない。

道を踏み外すのは、相手が(自分でトイレに行けないから?認知症だから?)自分以下の何かなのだと潜在的に思ってしまった時だ。

参考過去記事▼
www.sow-the-seeds.com



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虐待やサービスマナーの欠如。そのリスクは確かに危惧するべきものだし、なんとかして防がなくてはいけない。しかし、そのための手段が「詭弁」というのは、私には出来ない。

「してあげてる」「させて頂く」、どちらも違和感があるから使わないというのが結論。

余談だが、よくもまぁこんな小さな事をくどくどと考え、悶々としてしまう、つくづく私は大成しないタイプの人間だなと思う。オワリ。