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介護の現場から リーダーのためのブログ

『死』について、利用者と腹を割って話したとき・・・の話し【死生観の授業8】

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こんにちは、yuです。

皆さんは、施設を利用するお年寄りと「死」について、本音で語らったことはありますか?

死というとネガティブなイメージが先行して、タブー視されている雰囲気があります。下手な事言って相手を傷つけてもいけないですし、思わず口をつぐんでしまいがちです。

私もそう簡単に利用者や家族に口にすることはありませんが、ちょっとしたキッカケがあって、過去に腹を割って話した経験があります。

自分にとっては「話ができて良かった」と思えた大切な体験だったので、今回はその時の事をお話します。

 
[目次]

 

 

1 . 重度のリウマチを抱えるAさん

Aさん(80歳代、女性)は、寝たきり度の高い方です。

食事の時以外はほとんどベッドで横になって過ごされています。

リウマチの影響から四肢は変形し、自分で立ったりすることはできません。スプーンはなんとか使えていたので、食事は自己にて召し上がっています。

認知症はなく、年相応の物忘れ程度。職員の名前を覚えて下さったり、日常会話もできる方です。


ある日、ベッド上で介助をしていた時、Aさんがふと身の上話しをして下さいました。

Aさん
「私は、若い頃から病弱でしょっちゅう入退院を繰り返してたの。家族、兄妹の中では一番最初に死ぬと思っていたのに、結局私が一番長生きしちゃったわ。」


私はこの話を聞いて、Aさんの「若い頃からの死への覚悟」「生への感謝、満足」のようなものを感じました。

そこで私は、普段は聞かない「死」について思い切って聞いてみました。


「Aさん、死ぬことは怖くないですか?」
Aさん
「全然怖くないわよ。こんなに生きられるとも思ってなかったしね。まあ苦しいのは嫌だからなるべく避けたいけどね。」


Aさんは特にかしこまったり落ち込んだりする様子もなく、いつもの会話と変わらない平静な表情で話して下さいました。

たったそれだけの会話でしたが、Aさんと死についてタブーなく率直に話せたのが、私にとっては嬉しい出来事でした。

また後述もしますが、お年寄りの立場から見ても死に向き合ってくれる人がいないというのは実は孤独で残酷なことなのです。

私がAさんにとって、死も含めて向き合える存在になったような気がしました。



2 . 脳梗塞で倒れ入居になったBさん

Bさん(80歳代、女性)は、悠々自適の独身生活をされていた方ですが、脳梗塞で倒れ一人暮らしが出来なくなり、施設入所に至った方です。

私がお会いした時には脳梗塞の後遺症と筋力の衰えも顕著で、ほぼ寝たきりの状態になっていました。

Bさんは倒れて施設に入る直前まで、何も不自由なく生活できていた方です。ボーイフレンドもいたようで、かなり仕事もプライベートも充実した活動的な女性だったようです。


私が遅番だったある日、Bさんの就寝介助を終えた時のことです。Bさんが真剣な表情で話し始めました。

Bさん
「こんな体になったんじゃ、楽しい事なんて一つもないから死にたいわ。あそこのベランダから飛び降りたい。」


この時のBさんは、心配してほしいから言っているという感じではなく、本心から死を願っているようでした。

私も中途半端な慰めは無用かなと思い、本心を返しました。


「そうですね。本当に死にたいくらい辛いですよね。あそこのベランダから飛び降りようにも、飛び降りるだけの体も動かないし。僕が殺してあげることも出来ないし。安楽死があればいいけどないですし…」


Bさんは、私の発言に驚いたようで、目を丸く開き言いました。

Bさん
「そうなのよー!本当にそうなの!皆んなに死にたいって言っても『そんな事言わないで』『死んだら悲しい』なんてありきたりな事言って、誰も本人の辛さや気持ちなんて分かってないのよ。本当にそうなのよ。」


死をタブーにしなかったからこそ、本音で分かり合えた気がしました。

その後、直接的な解決策は見出せなかったですが、仕事の合間を見てよく思い出話しなんかを聞かせて頂きました。

程なくしてBさんは肺炎にかかり入院。入院中に状態が急変しお亡くなりになられました。幸か不幸か、施設に入居してから1年も経っていませんでした。



3 . 介護は、死をセットで考えなくてはいけない

死について本音で語り合うことは、お年寄り自身にとっても2つのメリットがあります。

① 精神的な孤独を和らげる

死は怖くないと言う人でも、全く恐怖がないかと言うとおそらくそんな事はなく、漠然とした不安や孤独感は抱えていると思います。

介護する側が死について見て見ぬふりをするのではなく、率直に語り合える関係であった方が、孤独感が和らぎます。


② どう死に向かうか、率直に相談できる

今までこのブログでも散々取り上げてきたことですが、看取りや延命など、どのような医療や介護を望むのか。これを認知症が進む前から、意識がはっきりしているうちから、率直に相談することが出来ます。


参考過去記事▼

www.sow-the-seeds.com

 

なんとなく過ごして、なんとなく自分の意思を伝えられない状態になって、望まない医療や介護を周りの判断で勝手にされる…そんな不幸なことはありません。

介護する側としてもそのような事は望んでいません。

本当は、そういう話は若いうちから本人と家族で済ませておいて頂けるとありがたいです(兄弟でも意向が違ったりとか家族といえど合意形成は楽じゃありませんから、実際には中々難しい場合もありますが)。


 

4 . さいごに

贅沢を言うなら、利用者や家族にとって介護士は寺の坊主のように、死生観について語れる良き相談役であることが理想です。

価値観を押し付けるのではなく、話をただただ聞いて共感する、受容する、また専門的知見から様々な選択肢や考えを助言する、本人家族の決めた意向を最大限サポートする…そんな存在が理想的です。

しかしこれは実際には難しいです。

施設には当然介護・社会経験の浅い職員、介護士として適切かどうかも怪しい職員もいますし、その人に生き死にの問題を相談しようと言うのも無理があります。こればっかりは机上の勉強だけではどうにもならない経験知のようなものがあります。

全員とは言わないまでも、施設長、部署長、主任さんくらいまでは、積極的に勉強し相談に乗れるだけの見識は普段から養っておく必要があると思います。

また、こちらが相談に乗ってやろうと言うのも一種のエゴで、人間関係ですから相談したくなる職員であれるよう、日頃の仕事ぶりや信頼関係が大切です。